<前提条件>
・筆者はぶっちゃけて言えば別にそこまでドラクエに強い思い入れがあるわけではない。(5をプレイしたのは十数年前なので5自体についてもかなりうろ覚え)
・フローラ派かビアンカ派かで言うとぶっちゃけどっちでもいい派。
・酷評されまくっているネタバレを事前に読みかじっているので、完全な映画初見かと言うとやや微妙。ついでに判官贔屓もあるとは思う。
上記3点を踏まえて以下の感想をお読み下さい。あとこれは個人の感想なので「そりゃあおかしい」と思う部分もあるでしょうが気にするな。
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というわけで珍しく、自作品以外の雑記です。
天気の子と迷った挙げ句「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を見てきたわけなんですが、結論から言うとめっちゃ好きでした。
ぶっちゃけメチャクチャ言いたいことがあってどれから話したものか迷いますが、とにかく一番言いたいのはこれ。
■この映画は、「ドラゴンクエストという"体験"」の映画化である。
ということです。
以下各論。
◆
だいたい本作について漏れ聞こえてくる感想で一番大きいのは、やはりラストの展開への反発のようです。
超絶ざっくり言えば「この世界は実はVRゲームで、主人公は記憶を一時的にシャットアウトした状態となってゲーム世界に没入していたプレイヤーに過ぎなかった」というもの。
そしてラストに出てきた魔王ミルドラース――もとい、そこに介入してきたプログラムバグはそんな主人公に向かってこう言うわけです。「ゲームの世界は終わりだ、大人になれ」と。(実際のセリフとは少し違いますがだいたいそんな感じ)
で、世の感想を見ているとここの部分がことさらに抽出されて、下手すれば本作は「ゲームを楽しんでいるプレイヤーに冷水をぶっかけるような話」として認識されていたりまでする始末なわけですが……描写から見ればこの物語の本質はそんな陳腐なお説教ではありえないし、むしろ正反対と言えましょう。
というのも。
「ゲーム」である世界を否定され、強制的に退場させられそうになった主人公は、上記のような「冷水をぶっかけてくる奴」に対して立ち向かって、世界を救うのです。
そしてラストシーン、仲間たちに囲まれながら自分だけはただ一人、エンディングを迎えたこの世界からほどなくして去りゆくことを予感しながら彼らと共に平和になった世界を見つめ続ける。
彼らは所詮は作り物、虚構に過ぎなくて。
世界を救えば、私たちはゲームの電源を切って彼らの世界と別れ、他人になる。
そこに渦巻く思いは、エンディングを迎えたゲームで感じるその寂寥感は、ドラクエにかかわらずRPGというものをプレイしたことのある人間であれば誰しも感じるもの。
そういう「エンディングを迎えて電源を切る」ところまでの体験――この映画が表現しようとした「ドラクエ」というものは、そこまでを含めたものなのではないかと、私はそう受け止めました。
で、だからこそ。「ドラクエ5」が物語として、世界として大好きで、その「ドラクエ5の映画」を見に来た人がこのラストに対して強い反発を感じるのは、ある意味当然とも言えるわけです。
この映画において、最終的に描いているのは「ドラクエ5の世界」として閉じた物語ではなく、「ドラクエ5」という一つの世界と私たちとの関係性そのもので。だからこそ逆に、ある意味「ドラクエ5の世界」として閉じた物語を期待して来たらとんでもない蛇足がくっついてくるようなもの。
加えて、上でも言ったようにこのエンディングは、「エンディングを迎えたことで否応なしに大好きな世界と離別せざるを得なくなる」という体験を否応なしに私たちに想起させるわけですから――「ドラクエ5」を愛していれば愛しているほど、そこから引き剥がされるような不安感を覚えて当然なのです。だって、そういうふうに作られているのですから。
けれど一方で、この作品はそういう「ドラクエを愛するプレイヤーたち」への讃歌でもあることを、無視するべきではないでしょう。
ゲームであっても虚構であっても。それを大真面目に愛し、何度だって世界を救う私たち。
そんな私たちに対しての、「ユアストーリー」なのですから。
……勿論、「そんな題材ドラクエでやる必要ない」という意見もあるとは思います。実際私も感想を考えていてそう思った部分もありました。
けどやっぱり、これは「ドラクエ」というJRPGの金字塔、ある意味「ゲーム」の代名詞とも言えるこのコンテンツだからこそ初めてできる題材だとも思うのです。
多くの人にとっての「ゲーム」の原体験であり、多くの人がきっとドラクエを通して、「エンディングを迎えたゲームとの別れ」を経験してきた。
だからこそ、この題材を仮託するのは「ドラクエ」が一番相応しい。少なくとも私は、そういうふうに感じました。
◆
まあ、たしかにラストで急にああいう話になってきたのはちょいと飛ばし気味だなーとか、全体的に印象的なシーンとかを駆け足消化しちゃってるよなぁとか、そういう部分はあったりはしますが。
それでも兎も角、私はこの映画は「好き」と言えます。
画作りについても素晴らしいものでしたし、聞き覚えのあるBGMやジングルが流れると思わず「おっ」となりました。(メインテーマはちょい使いすぎな気もしましたが)
……そして、何より。
「ドラクエ」という巨大なタイトルを冠する中でこういう挑戦をしたことを、私は手放しで称賛したい。
そりゃあ確かにストーリー的にも面白いドラクエ5をそのまんまベタに映画化すれば面白いでしょうけれど、「ドラクエ」というすでに成熟したコンテンツにおいて今更そんな当たり障りのないものを作られても、「無難」という感想になるのがオチでしょう。
同じものを同じように焼き直すだけでは、コンテンツは閉じていくだけです。
そこにおいて「ドラクエ」という文化そのもの、それをこういう形で描き出そうとしたこの劇薬的な試みは、作り手の姿勢としてはあってもいいと思うのです。
……ともすればそんな挑戦は、「エンタメ」としては失敗と言われるものなのかもしれませんが。
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